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映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』

映画

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』
賛否あるが僕は圧倒的に賛の方。
結構感動した。

疎外感と孤独感を持って生きていたが、前作の段階でのアーサーにはコメディアンとして人を笑わせることがしたい、自分には出来る、ということを核に持つことで明日への希望を持てていた。
しかし今作では、自分にそんなことが出来ないことを自覚する。
唯一の肯定的な部分でのアイデンティティを無くしてしまったのだ。
そこで彼は絶望する。
自分に絶望してしまったとき人間は辛い。
ジョーカーというかりそめの自分への限界も感じ行き場を失ったアーサー。
物語としてラストシーンはあれしかなかったと思う。

アーサーは1作目で自分の現状を受け入れられず、その憤りを怒りに変えジョーカーと化す。
アーサーはその際の昂りに、それまでの人生では感じたことのない喜びを得れたのだろう。
世界中で大ヒットしたのはその憤りと昂りに共感した人が多かったからだと思う。
そして今回の続編。
興奮から覚めたアーサーは、普段の彼に戻ったようであった。
しかしレディー・ガガ演じるリーと出会い自分が求められてることに気分を良くし、再びジョーカー化していくアーサー。
裁判で元隣人の女性ソフィーが、アーサーの母親が彼のことをどのように言っていたかを証言。
自分が母親からどう思われたかを知る。
コメディアンを目指してきた彼の想いは木端微塵に砕けてしまう。
続いて証人として出廷してきたゲイリーに対し、アーサーは心優しき善人ではなく一部の聴衆が望むジョーカーとして接してしまう。
ゲイリーの発言は、同じ側だったはずのアーサーが今では違ってしまっていることを伝える。
また前作でゲイリーの命を助けてあげたと思っていたアーサーだが、事件後もずっとそのことによる苦しみを抱えている彼に対する加害者が自分であることに気づき愕然とする。
そうして彼はジョーカーでいることに耐え切れず(ジョーカーを受け入れる資質は元来なかったのだ)そのベールを拭い去る。

この続編でのアーサーに共感した。
多すぎると批判のある歌は、この物語には必然だったと思う。
エンドクレジットで流れる、ホアキン・フェニックスが歌うダニエル・ジョンストンの曲が泣ける。

車の中で流れるビリー・ジョエルの「マイライフ」は前作で共感した人たちへのメッセージ。

名作だと思います!

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