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『家族を想うとき』 ケン・ローチ監督

映画

もちろんアメリカほどではないけれど、やはり日本は格差が広がっていると思う。
収入格差だけではない。
収入格差に端を発しているものが多いのだが、それ以外にも色んな格差を感じることがある。
なんか世の中は良くない方向に向かっているように思っている。
いわゆる普通の人が、より生きにくくなっており、最悪なことにその人たちが自分より立場の弱い人に牙を剥くということも目立つ。

また、それまでは社会の真ん中もしくはそこに近いところに居た人が、ちょっとしたズレや不運が重なる事でそこから一気に逸脱していくということもある。
そんな事が突然にやってくる可能性は誰にでもある。
そしてそれが救済される仕組みは充分と言えない。
今回はそんな家族(彼らは社会の真ん中から既に滑り落ちかけている存在ではあるが)を描いたケン・ローチ監督の2019年作『家族を想うとき』について書いてみたい。

舞台はイギリスのニューカッスル。
ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。
過酷な労働条件ではあったが、それでも当初はまだ想定内(甘い想定であったのだが)だった。
妻のアビーは訪問介護士として、これまた忙しく働いていた。
子どもは二人。
息子のセブは高校生。
優等生ではなく、父の勧める大学にも進学しようとしない。
娘のライザは夜眠れないという。
リッキーもアビーも、家族のことを想い一生懸命働くが、長時間労働により子供たちとの距離は離れていく。

家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていくのだった。
そしてある日リッキーは、事件に巻き込まれる。

家庭崩壊の危機。
しかしそれぞれは皆、家族を愛し再生を願っている。

リッキーは特別優れた人ではないかもしれない。
だが、そんな人なら幸せな暮らしを送れなくても自業自得ということで片付けられていいのだろうか?
優れた人だって、運が悪ければ堕ちていくことはある。
ましてや、そうでない人はちょっとしたすれ違いやボタンの掛け違いで一気に転げ落ちてしまう。
不運に遭遇しても、何とかなるように準備しておかないと、と言う強い人もいるだろう。
でもそんなに強い人だけが生き残れるような世界なら、もうそれは人間社会でなく動物の社会と同じだなと思ってしまう。
それを良しとするべきなのか?

なんてことを考えさせられた、胸締めつけられるような作品。

家族の物語。
とても良い映画。
名作だと思います。

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