『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は最高だった。
ティモシー・シャラメが演じるこの映画の主役マーティ・マウザー(モデルは実在した卓球選手マーティ・リズマン)は、ホントにクソ野郎。
卓球で世界一になることしか考えられない、身勝手極まりない男。
映画としての出来が良いから冒頭から面白く観ていたが、共感するとこは全くない。
だが日本を舞台にした終盤からラストにかけての高まりが素晴らしく、マーティのクソ野郎加減は吹っ飛ばして一気の持っていかれた。
僕は、作品として優れていてもクソ野郎が主人公の映画は好きになれない。
俺は真面目に生きてるのに、何も良いことがない、なのにお前は何なんだ!?
と気持ちが荒むから。
なにショボいこと言ってるんだ??
と思う人もいるだろう。
確かにショボいとは思う。
でもそう感じてしまうんだから仕方ない。
こんな人間なのだ、僕は。

しかしこの映画は好きだ。
頑張って生きていこう!
と思える生への活力と希望を与え、生きることを肯定してくれるのだ。
監督のジョシュ・シャフディの手腕か。
ちなみに、今作はシャフディ兄弟で監督した前作『アンカット・ダイヤモンド』と作りは似ていて共通点も多い。
だが得られる感じは違う。
同じく主人公はクソ野郎だが着地は全然違うものとなっている。

さてここからは、詳しい内容にも触れて書き進めていきます。
未見の方はご了承ください。
ラスト病院で、自らのことを父親だと認め、生まれたばかりの子どもと対面するシーン。
バックに大音量で流れるティアーズ・フォー・フィアーズの「ルール・ザ・ワールド」。
そこに生まれたばかりの幼子たちの鳴き声が重なる。
Welcome to your life
という冒頭フレーズは、生まれてきた子どもたちと、マーティのこれからの人生に向けて歌われているのは明らか。
Everybody Wants To Rule The World(誰もが世界を支配したいと思ってる)
という曲タイトルのフレーズ、これもミソだ。
この映画は1950年代の物語である。
そしてこの曲は1980年代のヒット曲。
1950年代に生まれた子どもたちは、古き良き時代(といいうものがあるとして)から遠く離れ始めた80年代に露わになる高度資本主義社会の本場アメリカでプレイヤーとして世界を支配しようと躍起になる。
50年代のクソ野郎はまだ可愛げがあった。
だが時代はそこに拍車をかける。
あの泣き叫んでいた幼子たちの誰かは2020年代の今、自らの帝国を築き世界を支配しているかもしれない。
マーティ的なものは、時代を経てより利口になり進化した形で覇権を狙い続ける。
そこも含め「ルール・ザ・ワールド」は非常にこの映画の最重要ポイントのひとつだと思う。
1950年代・1980年代・そして2020年代、時代はより支配する者と支配される者に大別されるようになっている。
だからこそ
Everybody Wants To Rule The World
な意識は皆強くなり、今は皆そのことを隠そうとすることもない。
冷静に判断するなら、僕の思考パターンや性格からすると、かなり悲観的にならざる得ない内容の映画である。
しかし僕の気持ちは高揚し、ポジティブに明日に向かって生きようという強い活力がみなぎる。
これこそが映画のマジックだと思う。
ちなみに今のアメリカを席巻するMake America Great Again<メイク アメリカ グレート アゲイン>という言葉は、1980年の大統領選挙でロナルド・レーガンが最初に用いたと言われている。
戦後の黄金期であった1950年代への回帰を念頭に置いたのか?
とにかく1950年代・1980年代・2020年代を繋ぐ物語になっているのだと思うのですよやはりこの映画は。
とはいえビル・クリントンもこの言葉を使っていたらしいが。
アメリカ人には響きやすいのかな、この言葉?
さて物語中マーティのライバル的存在として日本の卓球選手エンドウが登場する。
モデルとなっているのは、実在した卓球選手の佐藤博治。
演じているのは聴覚障害のある卓球選手川口功人。
クソ野郎なキャラクター設定だからなのだが、マーティは”日本に3発目の原爆を落としてやる”的なセリフを言うシーンがある。
やはり日本人としては、あのセリフいるか?
と思った。
もっと違うフレーズでも良かったのではと。
だがエンドウが聴覚障害を持つことになった原因が、戦争被害であることを示すシーンがあったので受け入れることが出来た。
エンドウが聴覚障害があるという設定にしたのは、演じた川口選手に即したため。
その説明に戦争被害を入れたことはフェアだと思えた。
フェアというのは少し言葉の意味からすれば違うかもしれないが、僕はそのように感じた。
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』
繰り返すが、生きることを肯定する最高の映画だった!!
