先週は3月13日が佐野元春の誕生日だったことで、Xのタイムラインには彼に寄せる様々な想いが溢れていた。
だからというわけではないが、今回はこよなく愛する佐野元春について書いてみたい。
10代のころから佐野元春の音楽がずっと好きだ。
50代後半になった今も、その情熱は変わらない。
変化もあった。
若かりし頃には理解できなかった歌の意味が、今になってはっきりと心に響くことがあるということ。
またその一方で、聴いたときの心の動きが、10代のころも今も全く変わらない曲だってある。
その曲の最たるものは、2ndアルバム『Heart Beat』収録の「HEART BEAT ~小さなカサノバと街のナインチンゲールのバラッド」。
佐野元春の数ある名曲の中で、もっとも僕が大好きな曲。
この曲はいつも、僕の心をとても敏感にし、そして感傷的にする。
聴いているとき、心の中に浮かび上がってくる情景は今も10代の時と変わらない。
内面に広がる風景が同じなのだ。
これは僕が人間的に成長できてないことの証明かもしれない。
そんな風にも思える。
10代の時からしがみついている何かが原因なのかもしれない。
10代の時からしがみついてるもの?
大人になれてないのかな、やっぱり。
そういえば佐野元春は歌っていた
”つまらない大人にはなりたくない” と。
つまらない大人と子どもはどちらがいいのか。
どちらも嫌だ、50代後半だし。
立派な大人になりたいものである。
この年になって、まだそんなことを言い模索しているというのはかなりかっこ悪いことだなしかし。
佐野元春の音楽はエモーショナルであり、かつセンチメンタルだ。
そんな彼の音楽は、僕の情熱的な部分に火を付けたり、ナイーヴなところに寄り添っってくれたりする。
痛みや悲しみ、そして怒り、また優しさを感じさせてくれるのだが、その際には常に快感を伴ってくる。
ポップミュージックの最大の武器は快感だと思っている
佐野元春はメッセージ性の強いアーティストだ。
しかし彼の音楽はポップな快感を忘れない。
そこも僕が彼の音楽に惹かれ続けてきた大きな理由。
気持ち良いことは重要だと思うのである、何事においても。
また”気持ちの良さ”は、”正しい”ということより強い力を持っている。
何かを前に進ませようとするなら、そこはとても重要なことだと思う。
ごちゃごちゃ書いてしまったが、佐野元春の音楽に力をもらって生きている。
今日も仕事がんばろう。
やるべきことはいっぱいだ。