デミ・ムーア主演(共演のマーガレット・クアリーもダブル主演といってよい活躍)の映画『サブスタンス』で今もずっと気になってるフレーズ。
“remember you are one.”
あなたはひとり。
これは単に「肉体が一つである」という意味にとどまらない。
たとえ記憶の連続性が断たれようとも、人格が分裂したかのように見えようとも、
本質的な“人間性”は共有されている。
結局のところ内面もまたひとつなのだということを、この言葉は示しているのだ。
劇中で描かれるのは、スーという存在の「暴走」ではない。
エリザベスはスーに振り回されるが、根本の人間性は同一で、仮にエリザベスがスーの立場でも同じことをしただろう。
実際エリザベスは最後まで、サブスタンスを中止しなかった。
私たちが観ているのは、分裂でも対立でもなく、自分自身との対話だ。
自分で自分自身に対し、怒り・蔑み・嫌う、ということはある。
もちろん愛するという気持ちも。
つまりはそういうことである、エリザベスとスーの関係は。
この映画には、
“同一性”という深い問いかけが隠されているのではないか。
私たちは、どこまでが“私”で、どこからが“他者”なのか。
過去の記憶が失われたとき、私たちはまだ“私”なのか。
あるいは部分的に、もしくは断片的に”私”なのか。
それとも基本的にはずっと”私”のままなのか。
こんなことを考えるのは、日々の中で自分という存在の連続性を信じきれずにいるからかもしれない。
なんであんな事したんだろう?
なんであんな選択をしたんだろう?
なんであんなことを言ったんだろう?
みたいなことないですか??
でもそれもまた、紛れもなく“自分”なのだと、この映画は教えようとしている気がする。
さていったい、”自分”とは?
前回Appleのドラマ『セヴェランス』について書いたが、これも類似性を感じる物語だった。
基本的にこういう話が好きなんだろうと思う。
また映画を観て思った、アカデミー賞主演女優賞はデミ・ムーアが選ばれれば良かったのではと。